細川家の菩提寺について
亡き故人の霊魂を御供養し、墓所としてお祀りしているお寺のことを「菩提寺(ぼだいじ)」と言います。
当寺「能持院」は、中世から近世にかけて活躍した名門武家でもある「細川家」の菩提寺にもなっている寺院です。
栃木県芳賀郡茂木町にある曹洞宗寺院で、細川家の三代目となる興元以降の茂木藩主のお墓をお祀りしております。
菩提寺(ぼだいじ)とは
一般的に菩提寺の「役割」には次のようなものがあります。
- 一族の墓所の管理
- 年忌法要(回忌法要)の執行
- 位牌の安置
- 当地における歴史の継承
「菩提寺」とは、その一族代々のお墓を抱え、規定に則した方法で、先祖供養や法要を行うお寺のことをいいますが、「菩提(悟り・冥福)を弔うためのお寺」という意味から、この名称が生まれました。
一部例外もありますが、今般お寺には基本的にお墓があるので、ほぼ全てのお寺が「菩提寺」として機能しているということになります。
かつてそれは、そこに住まう武家や公家、地域の旧家などの「権威組織」から台頭し、そこで粛々と経営が営まれてきました。
次第にその機能は一般在家にも広がっていき、市民権を得るようになりました。そして現在のような形となり、広く知られるようになったわけです。
一方で当寺「能持院」のように、未だ古くからの経営形式を色濃く残した歴史的伝統寺院というものもあり、そのような寺院は、時として歴史を物語る重要な文化的役割をも担うこともあります。
細川家の菩提寺
細川家は江戸時代以降も名門として栄えた一族です。 起源は鎌倉時代まで遡ります。室町時代には摂津国(現在の大阪府北中部、兵庫県南東部)などを領地として、将軍に次ぐ役職である「管領」も担いました。
そんな細川一族の「菩提寺」は全国に複数点在しております。
①能持院:茂木藩主の菩提寺
栃木の茂木藩は、熊本藩細川家の支流(分家)にあたります。江戸時代初期にその活躍が認められた細川興元(細川忠興の弟)によって1万石余で下野国茂木(現栃木県茂木町)に立藩した外様藩です。
当寺能持院は、この地で初めて茂木氏を名乗ったとされる茂木家の祖八田知基(茂木知基)が1222年に創建した寺院で、もともとは茂木氏の菩提寺でしたが、1610年にこの細川興元が茂木に封ぜられてからは、細川家代々の菩提寺となりました。
境内にある細川家墓所は県の指定史跡にもなっております。



②今はなき小倉の菩提寺
小倉藩は、江戸時代に小倉城(現・北九州市小倉北区)を藩庁とした、九州地方における重要な譜代藩です。細川忠興が初代藩主を務めた後、1632年からは小笠原氏がその役を務めました。
その細川家小倉藩主の菩提寺は、寛永9年(1632年)までこの小倉に存在していたと言われている「泰勝院」です。
こちらは初代藩主・細川忠興が1611年に創建したとされるお寺ですが、後に細川家熊本への移転に伴い、以降その形は現在の熊本市にある「泰勝寺跡」へと引き継がれます。
現在そちら(泰勝寺跡)には初代・藤孝(幽斎)と忠興、妻のガラシャをはじめ、細川家歴代の墓所が安置されております。
③京都の菩提寺
また京都市北区にある「高桐院」も細川家の「菩提寺」となっております。
こちらは1601~2年頃、忠興が父・幽斎の菩提を弔うために初めに創建した寺院ですが、こちらにはその幽斎をはじめ、他にも忠興本人と夫人ガラシャの墓所(石灯籠)も安置されております。
しかし先ほども述べた通り、初代・藤孝(幽斎)と忠興、妻のガラシャの墓所は熊本の「泰勝寺跡」にもあるため、時期は定かではありませんが、これは後の人間がどこかのタイミングで分骨手配したことによって、このような形となっているのです。
③熊本の菩提寺
江戸時代に肥後国(現・熊本県)を領有した、石高50万石を超える九州第二の外様大藩が先にもご紹介した、「細川家熊本藩」です。
忠興の時代にこの熊本とゆかりを持ち、この地へと移転してきた細川家。以降加藤清正がその基礎を築き、忠興の子である初代細川忠利より、以降12代もの細川家当主がこの藩を治めました。
同じくここで藩主を務めた当主に細川重賢がおりますが、この者は藩政改革を行い「肥後の名君」として知られています。
名実ともに広く世間を導いた存在、また細川家の要衝とも言える場所、それが「細川家熊本藩」です。
その熊本藩主細川家の主な菩提寺は、先ほどもお伝えしたとおり「泰勝寺跡」と、もう1つ「妙解寺跡」の2箇所とがあり、いずれも現在の国指定史跡に指定されております。
「泰勝寺跡」では今でも細川家に関するイベントなどが行われるなど、毎年多くの方々が観光や、弔いのためにこの地を訪れており、細川家の「聖地」として知られております。
「妙解寺」は、熊本藩第2代藩主・細川光尚が、父であり初代藩主の細川忠利の菩提を弔うために寛永19年(1642)に創建された寺院ですが、神仏分離令の時に廃寺となっております。今は残念ながら寺院機能は停止しておりますが、「妙解寺跡」として、初代忠利公らの墓所を大切に守り続けております。


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